ある秋の日の恐怖体験

あれは今からちょうど1年ほど前のよく晴れた日曜日だった。
昼食後、私は某フラワーパークへ行ってみようと思い立った。

フラワーパークと名の付く場所は日本中にどれほどあるのかは知らないが、その規模は様々。
今年のゴールデンウィークに行ったあしかがフラワーパークは、それはそれは見事に藤の花が咲き誇り、多くの人で賑わっていた。

しかし、田舎の山の中にあるその某フラワーパークはいつ行っても人はまばら。
時には私の貸し切りか?ということもある。
でもそのおかげでゆっくりと撮影することができるので、年に2~3回は訪れる結構お気に入りの場所であった。
そう、あの日までは・・・。

その日の前日、初めて通い始めた写真講座で宿題が出た。
次回までに『秋の色』の写真をオートではない設定で撮り2Lサイズに印刷して持って行くというというものだ。
与えられたテーマに沿った写真を撮るという経験は私にとって初めてのことで、何を撮ろうかと胸を躍らせていた。
花の季節にはもう遅いが、あそこなら『秋の色』は何かしらありそうだ。

某フラワーパークまで車を走らせ、駐車場に着いた。
予想どおりガラガラの状態で、私の車の他に停まっているのは1台だけ。

車を降りると、もう10月なのに何かの虫がブンブン飛んでいる。
今日は暖かいので虫も元気なのだろう。

入園するためチケットを買おうとすると受付の女性従業員に、
「もう終わっている花もありますが、よろしいでしょうか?」というようなことを言われた。
「はい、いいです。」
せっかくここまで来たのだし、帰るのももったいない。
私は『秋の色』を撮りに来たのだ。
終わった花だって被写体になりうる。

入り口のゲートから園内に入るところで、また虫がたくさんいることに気が付いた。
よく見るとカメムシだ。
ギャッ、こいつはご免だ・・・と、そこは足早に通過し園内へ。

園内に花は・・・ほとんどなかった。
終わっている花があるというより・・・終わっている。

しかし、何かで読んだことがある。
『撮るものがない』のではなく『撮るものが見えてない』のだ。

少し歩き回ると、いい具合に紅葉した葉っぱが1枚、枯葉の上に落ちているのを見つけた。
これだ!
よし、今日はこの葉っぱのために入園料を払ったと思うことにしよう。

まずはオートで1枚撮ってみるが・・・違う。
これでは枯葉が明る過ぎる。

落ち葉1:LUMIX DMC-FZ1000

枯葉をもっと深く暗い色で撮るためには露出をマイナスに補正すればいいのか・・・?
ホワイトバランスは・・・?

カメラの操作に苦労しながら、イメージに近い色になるようにあちこち弄り回してみる。
真上から撮る。
ちょっと斜めから撮る。
逆方向から撮る。
RAWでも撮っておこう。

落ち葉2:LUMIX DMC-FZ1000

ひと通り撮ってみたので、さらに園内を歩き回った。
よく見れば終わった花の中にも、遅咲きで今が旬という花もある。
でも、その日私がカメラを向けてしまうのは色づいた葉っぱや枯葉。
わざわざフラワーパークに来て撮ったのが葉っぱだけとは・・・。
まあ、こういう日もあるだろう。

結局『終わった花』は1枚も撮らずに、帰ることにした。
早く家に帰って今日撮った写真を見たい。

入り口の建物に向かっていくと、軒下には来た時より明らかに増えているカメムシ。
ぎょっとするくらいの数だ。

嫌な予感がした。

「ありがとうございました。」
の声を背に、建物の中にも侵入した頭上のカメムシの群れを見ながら外に出る。

駐車場を一目見て、嫌な予感が的中したことを知った。

私の車に小さな水玉模様。
・・・つまりそのドットは、白い粉を吹いたような茶色いカメムシ。

ギャー!!!
ど、ど、どうする?

カメムシに包囲された・・・といったらちょっと大げさだが、ぱっと見て運転席側の面に20匹前後のカメムシがとまっている。
車全体でいったい何十匹とまっているのだろう?

この広い駐車場で、この危機に直面しているのが私ひとりだけという状況がまた恐怖感を増幅させた。
これが、「キャーッ!」「やっべー!」とか騒いでるカップルでもいれば気分的に少し違ったかも知れない。

どうしよう?
このまま車を発進すれば、風圧でカメムシは飛ばされていくのだろうか?

しかし、車に乗り込むためには大きな壁があった。
カメムシたちは平面より隙間の上が好きらしく、ドアの境目を占拠している。
このままドアを開けたら間違いなく何匹かは車内に侵入するだろう。

どうする?どうする?

とりあえず、ドアを軽く蹴ってみた。
こちらに飛んでくるのではないかと鳥肌が立ったが、何匹かは飛び立ち、何匹かは下にポトリポトリと落ちた。

もう一度。

何度目かで運転席側のドアの境目にはカメムシはいなくなった。
自分の服にカメムシが付いていないことを確認して、

今だ!!

素早くドアを開けて乗り込み、急いでドアを閉める。
・・・が、1匹が侵入し目の間をブーンと音を立てて横切った。

ギャーーー!!!!!

恐怖のあまり声にならない声で叫ぶ私。

どうする?
こいつを外に出すために今ドアを開けたらもっと入ってくるかも・・・。
かといって叩き潰すわけにはいかない。
カメムシは臭い・・・らしい。
らしいというのは、これまでに私は意識してカメムシのニオイを嗅いだことがないから。
嗅いでみれば、「あーこれか・・・」と、思うのかもしれないが、今のところ未知の臭さだ。

ええい!こうなったらイチかバチかだ!!
ドアを開けてタオルを振り回して追い出す!
やった!出た!早く閉めるんだ!

バタン!

ドアを閉めて身を固め、車内を見回す。
いない・・・よね?

ガラスの外側にへばりついた数匹のカメムシのお腹を見ながら、車内で変な音はしていないか耳を澄ます。

・・・大丈夫、中にはいないようだ。

第一関門は突破した。
あとは家に着くまでに車から飛び去ってくれればいいのだが・・・。

しかし、それは難しい要求であった。

車を発進させると、私の視界にいるカメムシたちは徐々に移動を始めた。
サイドミラーに止まっていたカメムシはミラーの内側上部へ、ガラスにとまっていたカメムシはドアバイザーの内側上部へ。
つまり風が当たらない場所に集合し始めたのだ。

運転しながら横目で数を数えてみる。
1、2、3、4、5・・・・
記憶が定かではないが、運転席側だけでサイドミラーに5、6匹、ドアバイザーの内側には7、8匹は集まってきたように思う。

この日は10月にしては暖かく、ともするとうっかり窓を開けそうになるが、そんなことをしたらとんでもないことになる。
もしもこんな時に検問なんかがあったら大変だ。
ドアも窓も開けようとしない挙動不審な女を警察はどう思うだろう?
紙に「カメムシがいて開けられません」と書いて見せれば見逃してくれるだろうか?

そして運転しながら考えたのは、先ほどの駐車場にあったもう1台の車のことだ。
私の他に客はいなかったから、あの車は受付にいた女性従業員のものだろう。
彼女はどうやって車に乗り込むのだろうか?
この時期は毎日のことかもしれないので殺虫剤でも用意しておいて、車に乗る前に吹き付けるのだろうか?
それとも車にあらかじめカメムシの嫌いな何かを塗っておくとか?

それよりも、彼女は、私が入園するときには「終わっている花もありますけどよろしいですか?」より「カメムシに包囲されますけどよろしいですか?」と聞くべきではなかったのだろうか?

私の車はだんだんと街中に近づき、すれ違う車も多くなってきた。
対向車には私の車にへばりついているカメムシが見えるだろうか?

私はこの後どうしたらいいのかを考えた。
このまま家に連れ帰ったら、我が家の庭でカメムシが繁殖してしまうかもしれない。
それは駄目だ。何としても阻止せねば。

とりあえずガソリンが少なくなっていたので、いつものセルフスタンドへ。
車を停めて、そーっとドアを開け、急いで外に出て閉める、
何匹かは車の表面にとまっている。

私は某フラワーパークの駐車場でしたように、再び車体を軽く蹴ってみた。
また何匹かが飛び立ち、何匹かは下にポトリと落ちた。
フッと強く息を吹きかけると飛び立っていくヤツもいた。

しかし、ここは先ほどの無人の駐車場ではなく、街中のセルフガソリンスタンド。
変なおばさんと思われない程度に目立たないようにさりげなく・・・。

ガソリンを入れ終えたときに後続車はいなかったが、「私の後でガソリンを入れる方は、カメムシを踏まないように注意してください」と、心の中で呼びかけ車を移動した。

そして、この後私は間違いを犯すことになるのだ。
それは、水を掛ければカメムシはびっくりして飛んで行くのでは?という浅はかな考えのもと、車を洗車機に入れてしまったということ。

そう、それは間違いなのだ。
カメムシは、水を避けて隙間に入り込む。
小学生の時に自由研究のテーマにして観察しておくべきだった。

洗車が終わった車を見ると、一見きれいに見えるが、助手席側のドアやトランクの隙間を覗くと厚さ数ミリのカメムシの姿が見える。
まだ十何匹かいそうだ。
息をフッと吹きかけると、のこのこと這い出して来るヤツもいるが、そのままじっとしているヤツが多い。
ドアやトランクが閉まっている状態で車内に侵入することはないにしても、開けた時が危険だ。

困った。

早く帰って今日撮った写真を見たいところだが、まだ駄目だ。
仕方ないので近くのショッピングセンターの駐車場に車を停め、少しの間ウィンドーショッピングで時間を潰した。
そして車に戻って隙間を確認してみる。

すると、ありがたいことにだいぶ数が減っていた。
車が日に照らされて熱くなってきたせいか、それともカメムシは基本的に明るいところが好きなのか、隙間から這い出て飛び去って行く。
這い出しても飛んでいかないヤツには息をフッと吹きかけると飛んで行く。

よし、この調子だ。
もう少し時間をおいてみよう。

あれから1年。
某フラワーパークにはその後行っていないが、今年も大発生しているのだろうか?
確かめに行く勇気は、私にはない。

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